ごろうさん、がんですって

すい臓がん、肺がんの術後に、ココロとカラダの充実生活を目指します。

祈りの意味

ごろうのブログにお立ち寄りいただき、ありがとうございます。


 昨年末、家族を病室から見送った。がんの再発・転移で末期の状態、、、
何となく自分の状態をわかっているであろう本人には、はっきりとは伝えず、というのが家族の方針。本当にそれでよかったのか、、、今となっていろいろ考える。
 胸水のため、酸素吸入しながらも、亡くなる数日前まで、面会の家族と冗談を言ったりで、がんの末期とは感じさせなかったが、呼吸状態が急変してからはあっという間だったという気がする。
 モニターの動きが騒がしくなったことに気付くとほぼ同時にステーションから看護師さんも駆けつけてくれた。延命措置はしない方針だったのでそのまま家族で旅立ちを見守った。大きな病院なのにドクターをはじめ、ナースも細やかな対応をしていただいた。


 もしかしたらこの瞬間、自分だけには何かサインがあるかもしれないと思っていた。
同じがん患者として旅立つときに「大丈夫、こわくないから、体は失っても私はここにいるよ、大丈夫!」なんて感じで、例えば光が見えたり、そっとカーテンが揺れたり、声が聞こえたり、、、


 結論から言えば、そういうことは何もなかった。もしかしたらあったかもしれないけど、がん患者でもとびきり鈍感な自分にはわからなかった。残念だけど「個体の死の先にあるもの」を感じさせてくれる現象はなかった。


 いつも何となく自分に重ねて見舞っていた。がんの最期ってこういう感じなのかな、とぼんやりと思っていた。次は、、なんてことをもしかしたら自分以外の家族も想像したかもしれない。


 突然の事故や病気で大切な人を失ってしまうこともあるかもしれない。その悲しみはどれだけのものだろう。がんの自分はどうだろう、告知から、化学療法、放射線療法、手術、、と不安と希望がごちゃ混ぜになりながらも家族と一緒に1年頑張ることができている。
もちろん自分がとてもラッキーながん患者であることはいちいち自覚している。来世の実感はできなかったけれども、今日、生きている意味をかみしめて感謝しながら家族とこれからの時間を重ねたいのです。